こんにちは~ヘリです。
韓国から帰国して二年ほど経過しました。
韓国留学中に書いたブログを見ると今でもわくわくして、懐かしくて、あの当時の気持ちが色々と蘇ってきて
ああ、またあの頃に戻りたいなあ…とじーんとしてしまいます。
今はコロナのせいで韓国に行くことすらできないですもんね。はやくまた当たり前のように韓国と日本を行ったり来たりできる生活に戻ってほしいものです。
最近ある出来事をキッカケに韓国に行きたい欲が爆発している私。
今日はこの韓国に行きたくて仕方ない思いを文章にしてみるぞ!ということで
韓国留学時代の思い出の場所や記憶を綴る旅
をしていこうと思います!
是非一緒に楽しんで頂けたら幸いです~。
- 【新村(シンチョン)】若者のエネルギーが満ちる賑やかな居住地
- 【弘大(ホンデ)】遊びと勉強にまみれて2回目の青春時代を経験した場所
- 【狎鴎亭(アックジョン)】自分の未熟さと韓国語の伸びを感じたアルバイト先
- 何度思い出しても眩しい韓国での半年間
【新村(シンチョン)】若者のエネルギーが満ちる賑やかな居住地
韓国留学期間私が暮らした街は新村(シンチョン)でした。
この写真、シェアハウスの契約を終えて撮ったお家の前の写真ですね。何の変哲もない写真だけど撮った当時の高揚感や新しい生活へのわくわくした気分だったりが見るだけでよみがえってきます。
塾やコシウォンがたくさんあって、休日はなにかしらのイベントが行われるまさに若者の町!
上の写真のライブは私が韓国に来てすぐの時に行われていたんですが、家でぼーっとしていたら音楽が聴こえてきて見に行ったんですよね。
友達と行ったビール祭り?ビアガーデンみたいなのも楽しかった~!
飲み屋もめちゃくちゃ多くて、深夜に家の前にあるコンビニに行こうとして外に出るとベロベロの若者が昼より沢山いて(笑)私も毎日友達と日が昇るまで遊び倒していました。
異常な体力を持つ韓国の若者たちに普通についていけてた私、結構お酒に強いということを韓国で知ったなあ。
夜中寝ようとしても韓国の分厚い窓を突き抜けてずっと若者の喋り声が部屋に響いていたのも懐かしい。部屋結構上の方の階だったのに(笑)
当時流行っていたヨクジョンハルモニメクチュという店のビール。わけわからんくらいうまい。
現在28歳になった私がまた韓国に住むならもうちょっと落ち着いた空気感の場所を選ぶと思うけど超~~気持ちが若かったあの時期の自分と新村の雰囲気はとても合っていて最高の留学生活が送れました。
あ、あと留学生活を思い出す度、必ず真っ先に頭に浮かぶのが勉強する時に利用しまくった新村のスタディカフェ。
책다방 위숨(チェッタバン ウィスム)というカフェなんですが、家からも近く毎日のように通いつめて勉強していました。
毎日行ってると自分と同じ常連のお客さんを何故が覚えてきたりもして。あの人今日も勉強頑張ってるな~私も頑張ろう!と謎の仲間意識を芽生えさせて勉強を頑張っていました。
お店の入れ替わりが激しいという韓国。今もあるのかな~。次に韓国に行く時は必ずまた立ち寄りたい場所のひとつです。
【弘大(ホンデ)】遊びと勉強にまみれて2回目の青春時代を経験した場所
新村に住んだ元々の理由は通っていた語学学校が弘大にあったからでした。
私は留学期間中、ホンイク大学の語学堂に通っていました。ホンイク大学語学堂を3級だけ行った後カナタ韓国語学院に移って4級と5級の勉強をしました。
ホンイク大学語学堂については留学当時色々と記事にしているので気になる方は見てみて下さいね。
当時の記事にも何度か書いているのですが専門卒の私は大学に通うということにロマンみたいなものがあって、当時実際に大学生になったわけでは無いですがホンイク大学内をうろうろすることで大学生気分を満喫することができて大変楽しかったです。
食堂のご飯も恋しいな。別にめちゃくちゃ美味しいとかでは無いんですけど恋しいですね。
学校を途中で移った理由はなんだったんだろう…。
特にホンイク大学のカリキュラムに不満があったわけでは一切ないのですが、何故か学校を途中で変えました(笑)カナタ韓国語学院は自分よりかなり年上の方達が同じクラスで、まじめに勉強している雰囲気に感化され勉強面で沢山刺激を受けた記憶があります。
弘大はとにかく可愛いお店がいっぱいあって、アクセサリーとか服とかを授業が終わった後見に行くのが趣味と化していました。
そしてまたしても夜は友達と遊び倒す日々!
お酒飲んでカラオケとかクラブ行って、友達の始発をコンビニ前で朝まで待つ!!みたいなのを週2位でしていた気が…。わ、若ーーい!
とにかく私の韓国留学は本当に遊んでばかりだったようです。
【狎鴎亭(アックジョン)】自分の未熟さと韓国語の伸びを感じたアルバイト先
おしゃれで洗練された街~みたいなイメージの狎鷗亭。私にとっては初の海外アルバイトを経験した街です。
韓国の立地がある程度わかる方からすれば新村に住んでいて狎鴎亭でアルバイト?遠すぎない?と恐らく思われると思います。電車で40分くらいかけて通っていました。
何故わざわざ家から遠い狎鴎亭を選んだかというと、元々年単位の長期滞在の予定が無かったので極力色々な場所で思い出を作りたかったから。学校も友達と遊ぶのも生活の全部が弘大周辺で完結していたので、アルバイト先を遠い場所にすることで行動範囲が広がればいいな~と思って決めました。
実際この選択は結構成功だったと思います!
弘大と狎鴎亭って街の雰囲気から人のファッションから、何から何まで雰囲気がちょっとずつ違うんです。個人的なイメージですが弘大と比べると狎鴎亭は少し大人で高級感のある街というかんじ。あと物価も高くなる!
特に私のバイト先の日本料理店は結構高級なかんじのお店で、お客さんもなかなか富裕層なかんじの方が多かったのでそれも新鮮でしたね。韓国の富裕層の肌ピッカピカ具合に度肝を抜かれたのを思い出します。
当時は韓国語も今より全然できなくて、バイト先の店長はめっちゃ怖いし、職場も外国人ひとりぼっちだし喋れないし…ということで海外初バイトは辛い記憶しかない(笑)
韓国の上下関係主義を身に染みて感じたのもこの時が初めてでなかなか受け入れられなかったんですよね。今思えば店長さんも厳しいし口悪いけど良い人だったと思えるんですが。
短い間で辞めてしまったのですが、文化の違いと自分が外国人であることをとても強く感じた経験でした。どれだけ考えても海外就職してる人すごすぎる…!
楽しいばっかりでは無かったですが、私にとって留学中に知れて良かったと思える経験が狎鴎亭には詰まっている気がします。
何度思い出しても眩しい韓国での半年間
何度も繰り返し思い出す過去の出来事って誰にとっても幾つがあると思います。私にとって半年間という短い韓国留学期間は一日一日が濃厚で新鮮な、繰り返し思い出しすぎていつまでも古くならない貴重すぎる時間だったなと思います。
そういえば彼氏できたりもしたな~~!初の国際恋愛を経験できたのも面白い記憶です!
コロナが流行して海外に行けない期間が長く続いていますが今でも韓国の友人とは時々連絡を取り合う関係が続いています。何度コロナが終わったら…の話をしたかわかりませんが本当に早く会いに行きたい!
現在私は28歳になりました。
久しぶりに文章にして韓国留学時代を思い返してみましたが、とっても楽しく文章が書けて私の韓国行きたい欲求も更に増し増しになりました!
次にいつ韓国に行けるのか目星もつかない日々が続きますが…この記事を読んでなんとなく留学生活を体験した気分になってもらえると嬉しいです。
ということで今日はここまで!
最後まで読んで頂いてありがとうございました。